母は(今思えば)働く母親だった。
父が母の葬式で、喪主の挨拶で言ったのもそのことだった。よく働いてくれた、と。
正社員を続けたわけじゃない。ライフスタイルに合わせて、その時々でいろんな形で働いていた。ヤクルトのおばさん、生保レディ、内職、クリーニングの受付。基本は主婦。そして副業としてのパートを生涯続けた人だった。
兄が産まれて手が離れてから私が産まれるまでは、ヤクルトのおばさん。私と兄は四つ違いだから、そう長いことやってたわけではないと思う。
私は二歳になったら預け先を探された。
保育所には何故か入れなかったようで、2年制の幼稚園に、3年保育で預かってもらったようだ。
幼稚園バスに乗る時は見送ってくれる。
でも、帰りのバスには迎えがなかった。
ほかの子はお母さんと帰る。私は一人で、自分で家の鍵を開けて家に帰った。
少し、寂しいな、と思ってた。
でも、一人の気楽さもあったように思う。
雨の日は、母が傘を持って迎えに来てくれた。
何故、雨の日だけ帰れたのかはわからない。
でも、だから、私は雨の日が好きだった。