虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

性的虐待があるということ

それは一年くらい続いた。

誰にも相談出来なかったけれど、

誰も読まない自分の日記に、

「最近、お兄ちゃんが嫌いだ。

(夜に)来るから」

とだけ、書いた。

それが精一杯だった。

それが終わった時、私は全力でその出来事から逃げた。

暗い世界から、子どもらしい明るい世界へ

全力で戻っていった。

そして、自分の人生から、そのことを抹消した。

なかったことにした。

カケラも残らないように、心の中から締め出した。

 

人生から消したはずの「それ」が

もう一度私に襲い掛かってきたのは

兄の娘が十二歳になった時。

それは大きな嵐になって襲ってきて

私の人生を壊した。

 

 

高橋和巳さんという、虐待に詳しい精神科医

「消えたい」という本に、こう書かれていた。

 

 

性的虐待は程度や継続性の問題ではなく、

『ある』というだけで一線を超えた重度虐待に当たる。

(略)

性的虐待の被害者は、それを語らない。

それを匂わすだけの言葉であることが多い。

『五年生の時に、お父さんに胸を触られた』

診察の中でそう語った女性がいる。

それ以上は何も語らなかった。

短い沈黙の後に、話題は他のことに移っていった。

この短い発言の中に、何が読み取れるか。

もちろん第一に、父親からの性的な虐待、

それも一度だけではないであろう。

それから第二に、それに気づかなかった母親の

ネグレクト、つまり二重虐待があったことである」

 

と書かれている。

私は、この言葉に目を開かれた。

まずは、性的虐待がそれがあっただけで、

「程度や継続性に関係なく」、重症度四以上

(重症度は四段階に分かれて評価される)の

重度虐待と認められる、ということ。

そして、その背景に「母親のネグレクト」があって

「二重虐待」になっている、ということ。

 

 

私の人生が壊れた背景に、一度は逃げて、

自分の人生から抹消した「性的虐待」の

影響があることは理解していた。

でも、そんなに酷いことをされたわけでなく、

恋愛も結婚も出来た(だからそれほど傷ついていない)のに

なんでこんなに私はダメなんだろう、と思っていた。

けど、「程度」や「継続性」に関係なく

それがあるだけで、「重度」なんだ。

そして、性的虐待がある=ネグレクトがある、なんだ。

 

 

そのことが本当に腑に落ちるのには

その本を読んでからも時間がかかったけれど

まずは専門家がそう書いていることに驚いていた。