虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

冷たい夕飯

兄とのことが終わったころ、

私は中学生になっていた。

 

中学生になった瞬間、

まず、テレビのチャンネル権を失った。

 

というか、テレビを観ること自体を禁止された。

平日は学校から帰ると自室に篭り、

勉強をするように言われる。

父と母は居間に弟と一緒にいながら、

私や兄の2階での物音を気にしていて、

学習机の椅子の軋む音がしないと、

様子を見に2階に上がってきた。

 

夕食も中学生以上は家族と一緒には食べない。

勉強の具合で、自分なりに切りがいい時に食べる。

母は弟が夕食を食べる時間に料理をし、

私と兄の分は、食卓に置いてあった。

 

毎日、冷えたおかずに、温かい白飯。

弟を中心に回っている父母とは生活時間がずれていたので、

私も兄も一人で夕飯を食べた。

食べている間も、テレビなどは見ない。

そそくさと食べて、すぐに自室に篭る。

 

中学以降は、ずっとそんな生活だった。

だから、私の夕飯の団らんの記憶は小学生まで。

テレビも観ていないから、同世代の友人とも

話が合わない。

ビートたけし明石家さんまも、

知ったのは大人になってから。

タケチャンマンも、なんとかマンも知らない。

北の国から」も、成人してから一気見した。

 

 

我が家では普通のこと。

だから、なんとも思わなかった。

 

中学時代は、教師が家庭訪問で来ると、

なにやら母親に夕食のことで指導をしていたけれど、

なんでそんなことを気にするのだろう、と

不思議に思っていた。

 

なんにも、問題はないのに。

兄も私も不良になってるわけでなし、

教師が何を気にしているのか、

本当にわからなかった。