虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

信じられなかった父の怒り

中学2年生の時に行きたい高校ができて、

頑張って勉強していた私。

 

両親も、子どもの成績が悪いと正座させて

何時間でも叱る教育熱心な人たちだったので、

成績が上がる=褒められる、だと思っていた。

 

実際、小学生のころなんかは、

いい通知表を持って帰ると喜んでいた。

 

父は口癖のように、

今の日本は学力があればなんにでもなれる、

アメリカンドリームが日本にもある、

だから勉強を頑張れ、と言っていた。

いつも兄妹で競争させられていた私と兄。

父は、ことさら兄の前でわたしの成績を褒め、

 

「姉ちゃんは弁護士になれるな」

 

と満足そうに言ったりしていた。

あれは、本当は兄を叱咤激励するための

言葉だったのかもしれない。

 

 

猛勉強していた私は、

順調に成績が伸びて行った。

ただ、自分を追い込みすぎていて、

時々、無性に生きているのが嫌になって、

ベランダで一人、雨に打たれる日があった。

雪の日もあった。

最初は私の体温で溶けていた雪が、

身体が冷えてくると腕に積り始める。

そんな光景を見るのが好きだった。

体温なんて、消えてしまえばいい。

私なんて、消えてしまえばいい。

 

 

今から思えば心を病んでいた。

それは、たぶん、兄から性的虐待

受けた後遺症だったのだと思う。

「消えたい」と思っていた。

 

 

そうまでしながら頑張った勉強で、

中学二年の三学期、学年で3位という

好成績を取った。

当時、一学年10クラスあったマンモス校

400人中で3位で、

それまで10位近辺をうろうろしていた私には

一番いい成績だった。

もちろん、通知表はオール5。

 

やった! と思った。

父に通知表とテストの順位を渡すとき、

私はきっと自慢気に頬を紅潮させていたと思う。

褒められるとばかり思っていた。

そう確信して、疑わなかった。

 

それなのに。

その結果を見て、父は、激怒した。

 

「姉ちゃんは驕っている!

成績がいいよりなにより、

お母さんの家事手伝いをするような

優しい子の方がよっぽどいいんだ!」

 

そう、私に怒鳴った。