虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

逃げる

中学の時にはすでに、

「人を信用することができない」

と発表する自分がいた。

 

なんで発表するのか、は、よくわからないけれど

(前後のことはよく覚えていない)

隣に座っていた男子が、私の発言を聞いて、

私の机にぶらさげている巾着袋を下に落とした。

そして私に、

 

「袋が落ちてるよ?」

 

と言った。

え? あれ、本当だ、と

すぐに巾着袋が落ちていることを確認した私に、

 

「ちゃんと(人を)信用してんじゃん」

 

と、笑った。

 

・・・なるほど、と思い、

こいつ、優しいな、と思い。

でも、私が言う「人を信用できない」は、こういうことじゃない、

とも思った。

 

 

そのあと中学時代は勉強に明け暮れた。

兄は新聞奨学生を使って東京のはずれの大学に行った。

家の中には両親と弟と私だけ。

 

もともと、性加害は一年くらいのことだった。

私が小6~中1。

兄が高1から2年くらいの間。

高2で兄には彼女ができたのも大きかったと思う。

 

 

 

兄と私はほの暗い罪から解放されて

明るい世界へと逃げた。

健全で、闇のない、真昼間の世界。

子どもらしい子ども。

 

夢、希望。

大志。

 

 

 

中2から私は勉強に打ち込んだ。

徹夜も経験した。

平日も休日も、自分の作った時間割通りに動きたかった。

50分勉強して、10分休む。

3時間勉強したら、少し長く休む。

 

部活が終わって家に帰る時間から

夜中まできっちりと時間割を立てた。

だから、家の近くで友達が長話しようとするのが苦痛だった。

(もう英語の勉強を始めてなくちゃいけないのに)

きりきりと気持ちが焦るのだ。

 

ノイローゼ気味だったのだと思う。

そして一学年10クラスもあるマンモス中学で

学年三位になったのがひとつの頂点。

 

自信満々で成績表を父に見せたら、

 

「お前は驕っている!」

 

とカミナリを落とされた。