お尻を、布団叩きで何度も打つ
「百叩き」というのがあった。
母が怒ると躾としてこれが行われた。
最初、私や兄はなんとか逃れようと
逃げ回るのだけれど
それは回避出来るようなことではないので
最終的には自分からお尻を出した。
そして打たれる回数を
母と一緒に数えた。
百まで叩かれることは少なく
二十くらいで終わる。
母の数えが二十くらいになったら
お尻をかばいながら逃げても
あとはもう許してくれるのだ。
私より四年早く産まれた兄は
その分まだ若く、血気盛んだった母に
育てられた。
その頃は布団叩きではなく
金属バットが兄のお仕置き用に
置いてあったという。
兄は母を慕っていたけれど
今から考えれば母は
体罰こそ躾だと思っていた。
今なら虐待と言われるレベルだったのだろう。