虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

兄の迎えと、弟の寝かしつけ

子どものころ、

遊びに出かけて、門限になっても帰ってこない兄を、

迎えに行くのは、私の仕事だった。

 

兄が行っていそうな場所や友達の家を捜し歩き、

ピンポンを鳴らして兄を呼び出し、

「お母さんがもう帰ってきなさいって」

と伝える。

 

兄は、渋々、私と一緒に家に帰る。

 

 

 

それから、弟の寝かしつけも私の仕事だった。

7つ歳の違う弟。

私が11の時は4つ、12の時は5つ。

夜更かしが楽しくなってくる年ごろで、

ザ・ベストテン」など観たい番組も出てきたころだった。

 

私は9時や10時まで起きていたかった。

けれど、弟が眠る7時や8時に

一緒に寝室に追いやられてしまう。

 

茨城の家は二階に二部屋、一階にリビングと父母の寝室。

二階の二部屋のうち一つは兄の部屋、

もう一つが私と弟の部屋だった。

私たちの部屋には二段ベッドがあって、

弟が下の段、私が上の段に寝ていた。

 

さすがに同じ布団に入ってトントンして寝かしつけることはなかったが、

同じ部屋に寝に戻って、部屋の電気を暗くしなければならなかった。

小学校高学年になって、7時や8時に寝れるわけもない。

私は、暗くした部屋の中で、手元灯りだけで、本を読んだ。

時々、ちゃんと暗くして寝ているかどうかを母が確かめにくる。

その時は、階段を上がってくる足音で、慌てて手元灯りを消した。

 

私が中学校に入って、夜も勉強するようになったころは

どうしていたのだったろうか。

よく覚えていない。

部屋は明るくして、私は時には徹夜して勉強したりしていたから、

弟は両親と一階で寝ていたのかもしれない。

 

いや、私が中三の頃、兄は高校を卒業して、

東京の大学の傍に下宿していた

(というか、新聞奨学生で大学に通った兄は、

新聞配達店で下宿を始めていた)から、

私が徹夜して勉強をする頃は、

私は兄の部屋を譲り受けて一人部屋になっていた。

だから、弟の寝かしつけからは解放されていたのだったろうか。

中一や中二の頃の記憶が曖昧みたいだ。

弟の学習机は一階の父母の部屋に置かれていたし、

そのころのことは、よく覚えていない。

ただ、小学校高学年のころの、弟の寝かしつけの役割は負担だった。

それだけは、覚えている。