虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

家事手伝いと、母との喧嘩

もうひとつ、私には仕事があった。

母の家事の手伝い。

これは、日曜日など週に一度だった。

廊下や玄関の掃除が仕事だった。

 

母の家事の手伝いは、女子である私だけの役目だった。

男兄弟の兄や弟はさせられていなかった。

私が子どもの頃は、まだ男女の役割の違いが明確だったのだと思う。

私も、そこには特に不満は感じてはいなかった。

 

だけど、

あるとき、その手伝いをするべき日曜日の午前中に、

友達と遊ぶ約束をして、出かけようとしたことがあった。

 

母は、激怒した。

お前まで手伝いをしないのか、というような怒りだったと思う。

私の髪の毛をつかんで、台所で振り回した。

私も応戦して、取っ組み合いに近い喧嘩になった。

 

 

 

私は、母に叱られて傷ついた、というよりは、

母と取っ組み合いの喧嘩ができたことが嬉しかった。

母が真っ向から私に向かってぶつかってきてくれた。

二人で真正面からぶつかりあえた。

そんなことが、嬉しかった。

そんな記憶がある。

 

 

中学校になって、私のやるべきことが勉強メインになったころ、

母の手伝いからも解放された。

母は、「家の仕事は私の仕事」と、

「専業主婦」を好んで選ぶようになっていた。

私の中の「専業主婦を好んで選んでいた母」というイメージは、

このころに付いた記憶だったのだと、今、思い出した。

母は専業主婦、と、思い込んでいたから、

父の喪主の挨拶の、

「妻はよく働いてくれた」

という言葉が違和感があって記憶に残ったんだ。

そうか、そうだったのだなぁ。

この日記を書くようになって、

記憶が少し整理されてきているように思う。

50も過ぎて思い出すことも、やっと理解することも、

あるのだと、不思議に思う。