虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

デンボ

母とは、趣味嗜好が全く合わなかったのだと思う。

 

私は、(子ども時代)割と活発な方で、

人前に立つことが好きだった。

華やかなものに憧れたし、

自分もそうなりたいと思っていた。

 

で、小学校5、6年生の時に

運動会の行進の先頭に立つ、バトントワラーズに入った。

赤い制服を着て、白いバトンを回しながら

みんなの前を行進する。

近所の友達もみんなそれに入っていたから

その流れもあったかもしれない。

 

私は鼻高々で、母にも褒めて貰えると思っていたのに、

母は、

「お前は『デンボ』だから」

と言って、嫌そうな顔をした。

 

デンボとは何度も言われていて

「出たがり」とか、「派手好き」とか

そういう意味合いだったのだと思う。

言われる度に少し傷ついて、

「それってどういう意味?」

とは聞けなかった。

侮蔑のニュアンスが込められていたのだと思う。

 

 

授業参観の時も、

私は教室の後ろに母の姿を見つけると嬉しくて

ハイハイ!と挙手して、先生に指されて発表してた。

 

教育熱心な父母だったので、

勉強が出来る子の方が好かれると思っていた。

が、実際はそういう簡単な事じゃなかった。

母は、段々、私の授業参観には来てくれなくなった。

「お前の授業参観に行くと、褒められるから気持ち悪い。

お母さんはお兄ちゃんの時から、注意されるのに慣れているから」

と、言われた。

 

いい子にしてて嫌がられるなら

私は一体どうすればいいのだろう、

と、途方に暮れた。

 

小学6年生の時は、

授業参観に来てほしい、と懇願して、

母の約束を取り付けた。

休み時間の度に昇降口まで行って

母の姿を探した。

けれど、結局、来てくれなかった。

 

帰って、どうして来てくれなかったの、と聞くと

「出かけたのだけど、小学校に着いたら

家の鍵を掛けたか心配になって。

家に一度戻ったら、もう出掛ける気がなくなっちゃった」

と言った。

 

ああ、本当に私の授業参観なんて来たくないんだな、

その事実を突きつけられたようで、悲しかった。