虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

ピンクのワンピース

私は、九州出身の父に似たのか

肌が色黒の方だった。

 

そして、顔立ちは、

小学校の新任の保険の先生に、

 

「あなた、俳優の松田優作にそっくり!

私、東京で看護婦をやっていた時、

松田優作さんの担当をやっていたから

わかるの!」

 

と、興奮気味に声を掛けられるほど、

男顔だった。

家でも一人娘というよりは次男坊として

扱われていたので、洋服も、

スカートより断絶ズボンだった。

 

六年生の時に珍しくスカートで学校に行くと

 

「コマクサちゃんがスカート!」

 

と驚かれ、

男の子には囃されたぐらい、

ズボン率が高かった。

 

そんな私の六年生のピアノの発表会のとき、

近所のお友達と一緒に、ママ達が

東京の銀座に連れて行ってくれた。

茨城からだと結構な距離なので、

初めての銀座、初めての百貨店に

子ども達はみんな、はしゃいでいた。

 

ひとつの百貨店の中の華やかなお店で

私達の発表会用のワンピース選びが始まった。

 

私はピンクのワンピースに目が奪われた。

 

「これがいい!」

 

と言うと、母は、

 

「お前は色が黒いからピンクは似合わない。

これにしなさい」

 

と、水色のワンピースを押しつけてきた。

正直、全然好みじゃなかった。

だけど反論をした記憶も

他のワンピースを探した記憶もない。

 

 

水色のワンピースを着て

不器用に笑っている発表会の日の写真が

残っている。

水色のワンピースも、全然似合っていなかった。

もちろん、ピンクも似合わなかったろう。

でもそうしたら、白とか黒の選択は

なかったのだろうか。

 

実際、ピアノを始めたばかりの発表会では

白のワンピースを着たし、

七歳の七五三は黒のベルベットの

ロングワンピースだった。

どちらも似合っていたし、

写真の中の私は嬉しそうに笑っている。

 

 

「ピンクは似合わない」

 

それは、そのあとずっと私を縛る言葉になった。

大人になってからも、ピンクは着られない。

カウンセリングを受けて、傷を治しても、

挑戦できるのは、くすんだピンクまでだ。

淡い色合いの可憐なピンクには、手が出せない。

幼い頃の母の言葉の、効力の深さよ。

母自身は、そんなこと言ったなんて、

きっと覚えてもいないことだろうに。

そんなに娘が傷ついているなんて、

気づきもしなかっただろうに。