虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

学校で得られた自己肯定感

先日、両親の私への対応は虐待だった、と

オットと長女に訴えたとき、

長女は不思議そうに、

「でもママは活発な方だし、

なんなら出来る子だよね。

友達作るのも上手そうだし。

うつ病が長いのは知ってるけど

そんなに自己肯定感を削がれていたの?」

と聞いてきた。

 

私は、

「それは、ママは教師受けが良かったから。

家では否定しかされなかったけど

学校では褒められて育った。

それが救いだったんじゃない?」

と言った。

 

そう。

私は教師受けの良い子だった。

小学四年生の時は、仲の良い子と一緒に

担任の先生の家に招かれて泊まりに行ったし

(四年生が終わって担任が変わる春休みのこと。

ぎりぎり、教師倫理にも反していないと思う)、

五、六年生の時は、もっとあからさまに気に入られていた。

 

私は幼稚園の頃から読書が大好きだったので

国語の点数はとてもよかった。

どのくらい読書が好きだったかと言えば、

図書室の本棚を眺めて、

全部読み切ってしまいたい、と思うくらいだった。

実際それを目指して、一冊ずつ読破していった。

 

クラスにはもう一人、読書好きな女子がいて

(その子は私の親友だったのだけど)

二人で、同級生の作文の添削を任されたこともある。

最前列の教卓に近い席に座らされて、

クラスメートは先生に提出する前に

私たちのチェックを受ける。

私は鼻高々に、句読点の間違いや

構成をこうした方がいいとか言ったから

クラスメートからすれば嫌な奴だったと思う。

今から考えれば、その先生の行為は

教師倫理にも反していたなぁ、と思う。

 

先生は私の国語の力を評価していて、

高校入試の国語の問題を渡して、

「お前なら解ける。やってみろ」

と言ったし、

自分の愛読書を

「お前ならもう読みこなせる」

と言って、貸してくれた。

それは「楢山節考」という本だった。

読めたけど、面白くはなかった。

(小学六年生には地味過ぎた笑)

 

卒業アルバムには

「(将来)いい人になれそう」

と書いてくれたし、

中学生の時も二、三年生で評価されて

卒業アルバムに激賞の言葉をもらった。

 

 

私は家ではけなされていたけれど

学校では優等生だった。

私の社交性と自己肯定感は、

学校生活でかろうじて保たれていた。