クラスの窓から、
校庭の向こう側にある大木が見えた。
私はその大木に
「お母さん」
と名前をつけて、
いつも呼びかけていた。
「お母さん、今日はこんなことがあったよ」
「お母さん、今日はいい一日だったよ」
毎日の報告と、
その時々の気持ちを語りかけていた。
私にとって、全てを受け止めてくれる母は
その大木だったように思う。
人間の母には、だんだん、
なにも相談しなくなった。
というか、なにかを相談した記憶がない。
もっと幼かった頃はどうだったのだろう。
覚えていない。
だけど、小学校高学年の頃には
もう何も相談しなくなっていたように思う。
心の拠り所は、その大木だった。