虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

憂鬱の始まり 小学生のころ

自分には希死念慮がある。

それは強くなったり、弱くなったりしながら、私という存在の通底をずっと流れている。

しかし、それはいつからだったのだろうか?

 

小学生の時は無邪気だったように思う。

しかし、昭和の小学生そのままに、ノストラダムスの終末予言にはおびえていたし、時々、オカルト雑誌「ムー」なども読んでいた。

瞑想にチャレンジしたりしたのもこのころだし、山男の歌を聞いて恋人が死んでしまう悲劇を思って号泣したのも、まだ小学生の頃だった。

 

7歳の時に弟が生まれ、母は弟の子育てで忙しかったので、私はあまり母とは一緒にいなかった。二階の自室が居場所で、なにかがあればいつも自室に篭った。

友達と大喧嘩してきた時も、4歳年上の兄と喧嘩したときも、幼いなりになにか大事件が起きたときはいつも自室に篭り、感情をぶわぁっと発散させた。大声で泣いたり、枕を投げつけたり、足をバタバタさせたり。

二階へ駆け込んだ私が暴れていることは、階下にいても聞こえたはずだったけれど、母や父が、「どうした?」と見に来ることは、なかった。

そして、そうして暴れることができれば、大概の場合、30分から40分ほどで、私はすっかり気が済んで、晴れ晴れとした顔で下に降りていくのだった。

暴れている間に、私の方が悪かったな、などと内省して、謝りに行く、なんていうこともあった。

 

つまり、やっぱり、小学生の頃はまだ、普通の少女だったような気がするのである。