虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

安全神話の崩壊した世界で生きる

先日、久しぶりにトラウマの扉が開いた。

 

孫のセーターを編むために徹夜した日。

中学生のテスト前はよく徹夜してた。

一人で起きてて、深夜の台所に行って濃いめのコーヒーをいれて飲んで、眠気を追いやってまた勉強をする。

空が少しずつ白んで行って、朝を迎える。

夜中二時から四時が一番怖かった。幽霊がでそうでw

 

中学のころを思い出して、あんなに嫌な思いをした夜中のお手洗いに、よく行けたなーと、軽く思った。

次に、ちょっとした毒母が出てくる漫画を読んだ。

読んだ時はふーーん、と思っただけだったのに、その後起きていられなくなって、

「寝るね」

とオットに言って、眠剤を取り出した。

久しぶりに手が震えてた。

ガクガクと身体中が震えてきて焦った。

そんな不安定な私を、もうオットには見せたくなかった。

 

布団にくつまって、身体を海老のように丸くして、耐えていた時に、あぁトラウマだ、と思った。

 

中学生の頃、なにも感じなかった。

というより、トラウマが溶ける次女の出産以降までは、その出来事を忘れていた。

あんなに普通でいられたのは、確かにそれを瞬間冷凍させてたからなのだと、今更ながら体感した。

 

トラウマって恐ろしい。

だけど解凍されなければ。

なかったことだと本心から思えれば、それはそれで幸せだったとも思った。

あんなに無防備に、なかったことに出来ていたのだから。

 

 

今は、無防備に、なれない。

同じ頃、つまり最近。

オットや娘と行動を共にしていて、私だけ車に残る、ということが何度かあった。

一人で車に残る。

……でも、それが怖い。

誰かが急にドアを開けて入って来るかもしれない。

車のキーはオットが持って行ってそばにないから、車は動かない。

だけど、絶対安全、一人だと思ってたそのスペースに急に他人の男の人が入ってきたら??

……怖い。

安心出来ない。

そんなこと起こらないって、思えない。

 

内側からロックを掛けて、やっと安心した。

帰ってきたオットは、なぜ施錠されているのか訝しげに窓を軽くノックした。

 

異常なのは、私の方。

それは知ってる。

でも、一番安全であるべき「家」の中で被害にあった私に、「安全な場所」なんてない。

 

以前、ある記事で、停めてあった車でオットを待っていた女性が、突然車に入ってきた他人が車を発進させ、しばらく逃げられなかった話を読んだ。監禁時間は短かったし、レイプされたわけでもない。周囲の人は「よかったね」と言った。でも、彼女はどこへも出掛けられなくなり、心を病んで早逝した。

「軽く済んでよかったね」、なんて被害はないっていう記事だった。

 

私は、少し、この女性の気持ちがわかる、と思った。

彼女の傷は、レイプもされなかったし刺されもしなかったしって、そんな所にあるわけじゃない。

安全神話」が崩れたところにある。

日本は(おおむね)平和で安全な国で、誰もがその神話を信じている。

停めてある車に、他人が入って来ることは、ない。

電車はどれだけラッシュで混雑していても、ナイフを振り回す人は、いない。

つまり、自分のパーソナルスペースに入ってくる闖入者は、いない。

だからみんな、車を(中に誰かがいれば)施錠せずに後にするし、ラッシュに乗れるし、精算済みの買い物籠を「ちょっと置いて」何かを取りに行くことができる。

そして、99%は、その神話の通りに、なにも起きない。

 

本当に、そうか?

 

一度、この「神話」を崩されると、怖くなる。

いつ・どこで・誰から・被害を受けるのか?

受ける可能性があるのか?

絶対安全なんて、そんな保証は全くないのに。

 

 

これも先日の話だけれど、昔の一枚の写真を見たくて、自分のiPhoneの保存写真を見ていた。

オットに、撮影場所で検索出来るよ?と言われて、言われるままに検索してみた。

検索が効かなかった。

あれ? 撮影場所記録されてないの?と訊かれて、

「あぁ、位置情報は基本的に紐付かないように切ってあるよ」

と言った。

え、なんで? それじゃ検索出来ないよ、とiPhoneを返された。

「だって、位置情報が入った写真をうっかり何かに載せたら、どこで撮ったかが誰にでもわかるじゃない。

ブログとかに写真を載せる時は、基本、場所がわからないように、看板や住所表示がわからないように撮るよ。

観光で一時的に行った場所については、その何日か後(つまりその場所を自分が離れてから)しか載せないし」

「え、なんで?」

「だって、怖いじゃない」

「え、どうして?」

「どんな犯罪に巻き込まれるかわからない。ネットを読む人がどういう人か、わからない。

だから、私は孫の写真も上げないよ。

もう二歳になって感じが変わったから、赤ん坊の時の写真はあげるけど、今の写真は上げない」

まったくわからない、というオットの横で、長女は、「わかる。私もそうしてる」と言う。

 

こんなところにも男女差は出る。

基本、(たぶん)男性は未知の暴力は自分には起きないと思っているし、オットのように運動で身体を鍛えた力自慢の人は、もし誰かが何かをしようとしても、喧嘩なら俺は負けない、ぐらいにしか思っていない。

女性の感じている恐怖は、腑に落ちない。

私は(年は取ったけど)非力な女性で、尚且つ安全神話が崩れた世界で生きている。

 

早く、老けたかった。

若い頃は、お洒落したくなかったし、好意を持っている人以外には「綺麗」とも思われたくなかった。

あるパーティーに行く時、オットが器用に私の髪を結ってくれて、服をコートで隠しても、「パーティー感」のある見た目になったことがあった。自意識過剰かもしれないけれど、その日は電車でも人目を引いているようで、怖かった。

若い頃は、灰色のセーターに黒のタートルネックジーンズの格好が常だった。

友達が前を行き過ぎて、え?って感じで戻ってきて、

「やだ、男性かと思ったじゃない」

と言われることもしばしばだった。

…あれも、潜在意識下での恐怖と安全対策だったんだろうと、今では思う。

 

 

私は、死ぬまで安全神話のない世界に生きるのだろう。

だからこそ、この何もない、人のいない山の生活が居心地がいいのだろう。

そう、思う。

 

長くなったので、毒母の話は、また今度。