虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

思い出したこと

義母を憎んでいたことを思い出した。

 

実母が脳卒中で倒れて入院しているとき、

母のために使いたかったなけなしの十万を

義母への返済に回した。

オットが「お袋もアテにしてるかもしれないから一旦返して」って言うので

一旦返して、また借りようと思ってた。

と言うより、義母に差し出しても、義母はきっと

「お母さんが大変な時だから、これはお母さんに使って」

と、返してくれると半ば信じてた。

莫迦だった。

義母は十枚あるのを確認して、

「十万、あるわね」

と、そのまま受け取った。

母が倒れているのにお金がなくて、

なにもしてあげられないのが辛い、

と私は言った。

義母はそれに

「私もお金がなくて、国内旅行にも行けなくて

辛いわ」

と言った。

オットは「それとこれとは話が違うだろ!」

って義母に怒鳴ってくれたけど

一旦返した十万を、取り返してはくれなかった。

 

実母が亡くなってお葬式のあと、

式が終わって、少しだけ実家に居て、

ホントにお茶を飲むだけぐらいですぐ家を出たのに

義母はオットに電話してきて、

「まだ茨城(私の実家)なの?

希緒が泣いて大変なのよ」

と言った。

そんなことを言うくらいなら

希緒を連れて埼玉に帰らないで欲しかった。

私が希緒の面倒も見たのに。

母の葬式だったのに、父や兄弟と

悲しみを分け合う時間もないなんて。

希緒と二人で実家でその夜を過ごせばよかった。

 

 

そんな目にあった人なのに

私ったらなんで、その人の葬儀のために

こんなに心を砕いて、お金も払っているのだろう。

そういえば、こんな恨みも、すっかり忘れていた。

 

納骨式の日にちの打ち合わせで

オットが自分の三連休をそれに使いたくない、

と言って、

でも日にち的にはその日が一番適してて

「しょうがないじゃない(三連休を潰しても)」

と言ったら、オットが怒った。

 

もう知らない、って思う。

そういえば私は憎んでたんだった。

そんな人のために、なんで心も懐も

痛めないといけないのだろう。

 

 

 

恨みは、もう一度忘れる。

覚えていても、辛いだけだし。

もう亡くなった人だし。

 

葬儀の費用も、出そうと思ってた分は出す。

私が言い出したことだし。

 

 

でも、もう何もかもがどうでもいいや。

 

愛犬がいなくてこんなに悲しいのに

ほかの誰かのために心を砕くことを

もうやめよう、と、思う。