虐待サバイバー コマクサの憂鬱

虐待サバイバーの回復への道

泣いている子ども

次女が昨日、夜遅くに帰ってきました。

夕方、長女から電話があって、

次女と連絡がついた、

しばらく長女のアパートで保護するって話だったのに、

深夜次女からオットに電話があって、

ウチに帰ってくるって。

オットは次女を迎えに街まで降りて行った。

 

 

昨日まで、私が次女を許せないのは、

子ども第一で生きてきた自分の母性が

次女を許さないんだと思ってたけれど、

昨夜上がった友達のブログを読んだら、

そうじゃないってことに気づいた。

 

そんな行動許せない!

この人でなし!

っていう感情が湧きあがったら、

今起きている出来事や関係性だけでなく

古くから持っている傷が疼いている可能性がある、

と、そのブログには書いてあった。

 

正直、目を背けたかった。

でも、今このタイミングでこの記事が上がって

私の心がザワザワしていることは確かで。

この記事は私にナニカに気付けと言っている。

今夜私がこの記事を読んだのは偶然じゃない、

必然だ。

世界が気付けって言ってきている、と思って。

 

自分の心と向かい合ったら。

 

私の母性が怒っているのではなく、

見捨てられ不安の大きい、

母に愛されてなかったと感じていた、

私の中の傷ついた子どもが泣いているんだ

っていうことに気づいた。

 

 

 

 

そもそも、今可愛がっている孫と

9月半ばを過ぎたら一生会えないことも

十分私を傷つけていたけれど、

私はそのことでまだ泣いていなかった。

次女が決めたことならしょうがないと思ってた。

孫は、文字通り、母親に捨てられる。

次女は孫の育児を放棄し、元婿さんに

孫は引き取られていくのだ。

それならそれで、せめて引き取られる日まで

孫優先に生きてほしかった。

 

いや、違うか。

「赤ちゃんを放置する母親は許せない。」

私の中で繰り返されたこの言葉は、

私を見捨てないで、

私を愛して、

私のそばに居て、という

私の中の泣いてる子どもからの言葉だった。

 

 

私は、今でも次女を許せない。

でももうしばらく、許せない自分を

許してあげたいと思う。

私の中の泣いている子どもと一緒に

私も泣いていたいと思う。