母の古いノートには、小さな私の話もあった。
「ちゃーちゃんのバカ!」と真っ赤になって怒る私。
お人形に向けて、「なにか悪いことしたでしょう? なんにも悪いことしてないよ」と一人芝居する私。
そんな私を可愛いというような、短いスケッチ。
母の目から見た小さな私。
そのノートを見つけた時は嬉しかった。
私も愛されていたんだ、と、思えた。
だけど、今はちょっと違う風に読める。
「ちゃーちゃんのバカ!」
と叫んでる私が何に怒ってるのか、
母は推測しないんだな、とおもう。
怒ってる私への共感はなくて
遠くから可愛いなと眺めてる。
ペットが吠えて可愛いと見てるみたいだ、と思える。
一人芝居もそう。
「可愛い服着てるね」とか
「こんにちは、さようなら」みたいなやり取りじゃなく
何か悪い事したでしょう? 何も悪い事してないよ、
というやり取りは、切ないような気がする。
何か悪い事した、と怒られるのが日常なのかな。
こんな小さい頃から自分を責めて
自分に言い訳してる。
そんなふうに読めてしまう。
何気ない日常のスケッチ。
そこにはやはり、私と母の共感がないように思えてしまうのです。